みんな許してやってはくれまいか。
2006-09-22


9月19日の朝日新聞に、こんな見出しの記事が載っていた。
『仏で「死刑復活して」42%』

記事の内容はこう。
「18日に死刑廃止から25周年を迎えたフランスで、国民の42%が死刑復活を望んでいることが世論調査機関TNSソフレスの調査(13〜14日実施)で分かった。復活反対は52%。AFP通信が報じた。・・・フランスでは、81年に就任したミッテラン大統領(社会党)が死刑廃止を提案、国民議会は4分の3の圧倒的支持で廃止が決まった。同じソフレスの当時の調査によると、国民の62%は死刑廃止に反対していた。」

この見出しと中身は合っているのだろうか。「42」と「52」を取り違えたのか?
私は死刑を廃止すべきだと考えている。だから、そういう立場からの意見だと思ってもらってかまわないが、この記事はひどすぎると思う。

復活反対が52%の過半数となっているのに、なんで『仏で「死刑復活して」42%』が見出しになるのか。それに、死刑廃止当時62%のフランス国民が廃止に反対していたのだから、死刑を肯定する国民は42%にまで減少したとも評価できる。実際に死刑を廃止してみての結果だから、その変化の意味は重いと思う。
ところがこの記事、まるで死刑復活派が「42%"も"いる」と言わんばかり。

はて、いつから朝日新聞は、死刑肯定に読者を誘導するような記事を書くようになったのだろうか。少し気になって調べてみた。
93年、当時の後藤田法務大臣によって死刑執行が「再開」されたとき(それまでの数年間は死刑執行が事実上なかった)、同紙の社説は「しかし、人類の長い歴史からみると、国家による「応報」としての死刑制度は、時代を追って普遍性を失ってきていることは確かであり、一面で「流れを逆行させた」との評価を受けても仕方があるまい。」と述べていた。
そして、98年の社説。「オウム真理教の岡崎一明被告に対し、東京地裁は死刑を言い渡した。・・・坂本弁護士は生前、死刑廃止論に理解を示していたという。運命の残酷さを思わずにはいられない。・・・憤りや悲しみのあまり、死刑制度そのものをめぐる議論を封じ込めてしまうのは避けなければなるまい。」
その後の経過はよくわからないが、同紙は今年7月、広島女児殺害事件の無期懲役判決について、「無期でよかったのか」との社説を載せている。どうやらここ数年の間に、「人類の長い歴史」からみた「流れ」も変わったようだ。

かつて、とあるニュースキャスターは、フランスが死刑廃止した当時の法務大臣バダンテール氏の言葉を紹介しつつ、死刑廃止を考えようと、それこそ真剣な眼差しで訴えていたことがある。
バダンテール氏は、世論を気にしていたのでは正義は実現できない、正義を実行するのが政治家の責任だ、という趣旨のことを述べていた。いかにもフランス流のエリート主義といった感じだけれど、そのニュースキャスターはバダンテール氏の発言を賞賛し、「責任」を引き受けようとしないニッポンの政治家を批判していた。
だが、今となってはどうだろうか。これだけ死刑判決が相次ぎ、麻原に至っては執行を急げという声がメディアに溢れているというのに、このキャスターが死刑について語る気配は全くない。そう、世論あってのニュース番組なのだから仕方ない。

正義とは悪を懲らしめることであり、人権とは被害者の権利のことだという考え方が、世の中全体を覆ってしまおうとしている。その強烈な不寛容さが心配でならない。
今日は、その朝日新聞の記者が飲酒運転で検挙され、懲戒解雇されたというニュースを聞いた。私には微罪だとしか思えないけれど(事故には至っていない)、大々的に実名まで報道され、職まで失う強烈な制裁がなされた。
どこまで不寛容になったら気が済むのか。どこまで制裁を重くしたら気が済むのか。
[自由がお嫌いで?]

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