「普通の人」と極悪人との差はどこにある?
2008-01-12


今週の1月8日、飲酒運転による死亡事故の刑事事件ついて、注目の判決が福岡地裁で言い渡された。
事故は、2006年に福岡の海の中道大橋で起きた。飲酒運転をしていた被告人の車が前を行く車に追突し、追突された車が橋の上から転落し、乗っていた幼い子ども3人が亡くなるという痛ましいものだった。
裁判では危険運転致死傷罪の成立が争われたが、判決では、同罪の適用が否定され、業務上過失致死傷罪と道路交通法違反のみが適用されることになった。

判決文自体を読んだわけではないが、これまで接した情報をみる限り、私はやはり、危険運転致死傷罪の適用は無理だったと思う。判決に対する世間の評価は厳しいものがあるけれど、むしろ、これだけ世間の注目を集め、同罪の適用が「期待」される中、冷静な判断を示した裁判官たちを私は評価したい。

だが、この判決に対するマスメディアによる非難の嵐は凄まじい。法の欠陥やら裁判官の非常識やらと果てしない。
確かに、幼い3人の命が失われた悲惨な事故であったし、逃げたうえに水を飲んで証拠隠滅を図った被告人の行動は非道だと思う。しかし、だからといって、危険運転致死傷罪が成立しないのはおかしいと、ただ騒ぐのがメディアの役割なのだろうか?

危険運転致死傷罪の構成要件は、「アルコール又は薬物の影響により正常な運転が困難な状態で」車を運転し、人を死傷させたこと(刑法208条の2・1項)。当然に解釈にある程度の幅があることになるが、故意犯に匹敵する重い刑罰を課す以上は、それに相応する解釈による歯止めがなければ、過剰な刑事責任を国民に課すことになってしまう。
どうも、酒を飲めば「正常」でなくなるのは当然だから、危険運転致死傷罪が成立するのが当たり前と考えている人が多いようだが、平たく言えば、異常な運転しかできない状態であったことが必要だと考えた方がいい。今回の判決でも、単に酒を飲んで車を運転するだけでは十分ではないという判断基準が示されている。

とくに判決を罵倒している人たちには、よく考えてもらいたい。
危険運転致死罪の適用範囲を広げた瞬間から、「普通の人」がこの法律の標的になるのだから。
ちょっとだけなら良かろうと酒を飲んで車を運転してしまう、だらしない人が厳罰の対象になってしまう。確かに、だらしなく、人身事故を起こすような人はケシカラヌものではある。けれど、それは何十年も刑務所にぶちこむべき極悪人だろうか。私は、ギリギリ「普通の人」だと思う。むやみに刑務所に入れてはいけない。
だから、わざと人を死傷させたのと同等の、正常でない運転があったのでなければ、危険運転致死傷罪を適用してはいけないと思う。

100km/hで車を走らせ、よそ見していたのがそもそも正常ではないと言う人もいるけれど、本当にそう思っているのだろうか。自分の「常識」と照らし合わせて。
現場は「海の中道大橋」で、文字通り、海にかかる800mもの巨大な橋だ。この種の橋の上を、風景に目をやりながら100km/hで走る人は当たり前のようにいると思う。それが「普通の人」の行動だと思う。
仮に、こんな何百メートルも続く橋の上の直線道路であろうと、景色には目もくれず、制限速度以内で走ることしかしていない人が、被告人や判決を非難するならわかる。それだけ日頃から安全運転を心がけている立派な人の意見なのだとすれば、それはそれで一つの見識だと思う。だが、口汚く非難の言葉を吐いている人たちも含めて、ちゃんと制限速度を守れないのが「普通の人」というものではないのか。
正常でない運転というのは、住宅街の幅4mの道路や、人通りの多い市街地を100km/hで走るような危険行為のことだ。

それともう一つ重要なことがある。
被告人は現場から逃げて大量の水を飲み、事故から48分後になって呼気検査を受けている。その検査結果では呼気1リットルあたり0.25ミリグラムで、酒気帯び程度だったため、判決では「泥酔状態」ではなかったと認定された。

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