牛歩で名画を眺める
2007-03-28


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先週、上野にある東京国立博物館で開催されている『レオナルド・ダ・ヴィンチ展』に行ってみた。

展覧会の目玉はレオナルドの若い頃の作品である「受胎告知」だが、展示されているレオナルドの作品はこれ一つだけ。一点豪華主義の極致とでも言うべき展覧会であった。
とはいえ、未完成の大家であったレオナルドがちゃんと完成させた絵画はそもそも数えるほどしかない。厳密な意味での完成品は、「最後の晩餐」とこの「受胎告知」の2点しかないそうだ。「最後の晩餐」は壁にくっついているフレスコ画なので、動かせる完成品は「受胎告知」のみということになる。「ほぼ完成」の作品にしても10数点くらいだそうで、レオナルドの「完成」または「ほぼ完成」の作品を日本で観られる機会は、もう一生ないだろうと思う。その意味では貴重な展覧会であることには間違いない。

さすがに絵1枚で展覧会をやるわけにも行かず、レオナルドの手記やスケッチを実際に模型にしたものや、絵画技法に関する解説などが展示されていた。(絶対に飛べないと思われる)飛行機械の模型、(すぐ止まると思われる)永久機械の模型、(結局鋳造されなかった)巨大騎馬像の鋳造方法の解説などである。まあそれなりに楽しいけれど、ある程度は前々から知っていることも多い。その全部を人混みをかき分けてまで観ておこうという気にはなれず、興味のもてそうなポイントに絞り込んで観ることにした。
なるほどと思ったのは、「洗礼者ヨハネ」(怪しい感じの人が人差し指を上に向けてる絵)をコンピューター画像で明るさを変えながらみせてくれた展示物。この絵画は、人物の輪郭を線ではなく、光の濃淡で描いているとかで、みる人に闇から人物が浮かび上がってくるような印象を与える。絵の明るさを変化させることで、その仕掛けをわかりやすく解説してあった。
それと、例の未完成巨大騎馬像の実物大と思われる”脚”の模型。今回の展覧会でも、でかすぎたせいか、予算のせいか、模型も前脚の一部しか制作されていないが、その巨大ぶりは見事だった。確かに当時の技術では、巨大過ぎて実際に鋳造するのは無理だったのではないかと思った。レオナルドは地下で鋳造する技術を考案していたらしいが、最初のアイディアでつまづくと根気よく改良するような人ではなかったから、実行させなくて正解だったと思う。なぜかその辺りには人が少なかったが、巨大騎馬像が未完となった経緯を知る者にとっては、おもしろい展示だった。

その後、オルセー美術館展をやっていた東京都美術館にも行ってみた。
印象派のコレクションが中心で、わかりやすい絵が多い。今回の作品の中ではとくにホイッスラーの「灰色と黒のアレンジメント第1番、画家の母の肖像」が気に入った。
それと、初期の芸術写真も展示されていておもしろかった。内容はともかくとして、昔の人がどうやって写真を表現の道具としようとしていたかが何となくわかる。
ただ私には、レオナルドやボッティチェッリのようなルネッサンス期の天才たちと比べてしまうと、印象派の巨匠たちは少々ヘタなような気がしてならない。まあ好みの問題なのだろうけれど、研ぎ澄まされたような緊張感が今ひとつ甘くて、何かその、おざなりな感じがしてしまうのである。イギリスに”ラファエル前派”なるグループの活動が生まれたのも頷ける気がする。

それにしても、どちらの展覧会も人が多かった。多すぎた。
とくに「受胎告知」は、人が多すぎて、絵の前で立ち止まってはいけないルールとなっていた。ただでさえ視力が衰えつつある私にとってはつらかった。歩きながら横を向いて絵を眺めるなんて、曲芸に近いものがある(これからは練習してから出かけよう)。
[ブログっぽいこと]
[本とか映画とか]

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